なぎさウオーク ]in日高路


平成17年10月1日実施(大勢の人が参加して下さいました。)



美浜編H14年4月6日実施
(財)大阪湾ベイエリヤ開発推進機構・西日本旅客鉄道(株)
現地主催:「ふぁーむいん紀州日高」
協賛;美浜町・ごぼう歩こう会
デンマーク・サッカーチーム和歌山キャンプイン記念
美浜町(パートU):桜並木のトンネルと白亜の灯台、日の岬
☆カナダ移民の歴史の村「美浜町三尾(アメリカ村)」から雄大な海岸美を眺め
   ながら、日本とデンマークの心の架け橋、日の岬パーク・クヌッセンの丘へ
[この様子は、NHK和歌山放送で
4月22日PM14:45〜19:00の間に放映予定]

美浜ウオーク(パートU)写真集
逢母浜での、参加者受付 アメリカ村をウオーク 破損した救命挺展示館前で クヌッセン胸像前で
NHKテレビも撮影に
NPOふぁーむいん紀州日高
理事長の献花
右側をマナーを守って歩く 記念碑の説明を読む参加者 バス2台で集まった参加者
左の画像3枚は、クリック
すると大きくなります。
(戻る時は、WINで)
岩崎龍雄氏指揮コーラスクラブ一同 クヌッセンの除幕式で、クヌッセン氏を
称える歌を合唱
クヌッセン氏を称える歌を
歌っています
←岩崎龍雄氏・提供

集合時間:場所 10時20分 きのくに線 御坊駅
10時25分 駅前から御坊南海バス「日の岬ゆき」乗車
10時42分 逢母磯(オイボイソ)下車
受付場所/逢母バス停
参加費用/無料 参考資料
ゆ  き:御坊駅→逢母磯420円
かえり:日の岬パーク→御坊駅540円
日の岬国民宿舎で、入浴される方500円自己負担
帰りバス時刻 日の岬パーク発 14:15  御坊駅着 14:43
日の岬パーク発 15:35 御坊駅着 16:03
コース
        1.0キロ       0.5キロ     1.5キロ  
逢母磯(受付)---アメリカ村バス停---海猫島---田杭(クヌッセン機関長記念碑と救命挺)
     1.5キロ              1.5キロ      WC     2.0キロ
---海猫島---日の岬キャンプ場(昼食)---アメリカ村資料館見学---日の岬パーク・クヌッセンの丘
日の岬パーク・クヌッセンの丘で、(解散)パーク内自由散策・展望風呂入浴等

昭和32年2月10日午後9時すぎ
紀伊水道日の岬沖合で船火事を起こした機帆船「高砂丸」から
救出された日本人船員が、再び海に落ちたのを救おうと、荒れ狂う海に飛び込み命を断ったデンマーク船「エレンマースク号」 機関長、ヨハン=クヌッセン氏の遺徳を忍び、日本国民の感謝の気持ちを表するため、昭和37年6月、日の岬・クヌッセンの丘に
デンマークの彫塑家「グームセン・ホルム・クリーン氏」 による胸像と、記念碑が立てらた。

本資料は、御坊市文化協会長の西浜久計氏より提供頂きました。
株式会社秀学社 小学校6年生用教材 「明るい心と生活」 
海に生きる友

 デンマーク船エレン・マースク号が、風速20メートルの北西の季節風に荒れくるう波の中を、紀伊水道にさしかかったのは、昭和32年2月10日午後9時すぎのことでした。
 神戸へはあと3時間、心配そうにしている船員たちをはげましていた船長は、ふと、はるか前方に、いようなものを発見しました。急いでそうがん鏡を目にあてた船長は、きゅうに大きな声でさけびました。
「船火事だ。ただちになん船に向かって急行、救助用意。」
 船長の号令は、マークス号のすみずみまで、つぎつぎと、ゆきわたってゆきました。
 このあらしの中で、火事をおこした機はん船高砂丸は、すでにほ柱はもえ、船橋は波にあらわれて見るもあわれなすがたで、いまにもちんぼつしてしまいそうでした。
 近づいたマークス号からは、ただちに救命ボートがおろされこぎだされました。
 小さなボートは木の葉のようにゆれながらも高砂丸に近づき、船員の救助作業によって、やっとひとりの日本船員を助けだすことができました。
 しかしその喜びもつかのまでした。救命ボートがマースク号の横につけられ、なわばしごで、救助者を本船に移そうとした時です。つかれきっていた日本船員は、なわばしごのと中からどっと海中に落ちこんでしまったのです。船べりから救助を見守っていたすべての船員は、あっと声をのみました。せっかく、ここまで助けだしてきたものを。
 この時、まわりの船員をおしわけるようにして、とびだすが早いか、げきろうの中へとびこんでいった、ひとりの船員がありました。マークス号の機関長ヨハネス=クヌッセンでした。
 救命ブイは、そこここに投げられました。2度、3度、波の間から頭をあげ、必死に、しずむ日本人をつかもうとするクヌッセンのすがたが見えましたが、山のような波はついにふたりにすがたをけし、ものすごい風の音と、船友たちがさけぶよび声ばかりが、暗い海の上をわたっていきました。

 それから、7ヶ月あまりたったある日のことです。和歌山県日の岬の、紀伊水道をひと目に見おろせる山の上にたてられた、クヌッセンの碑にむかって、
「おお、弟よ。」
と、だきかかえるようにしてないている外国人がありました。
 クヌッセンの兄、ダビッド=クヌッセンが、ふるさとにさびしくかれを待っていた母の代わりとして、弟の最後の地をおとずれたのでした。
 きょうの紀伊水道は、すみきった青ぞらを写して、コバルト色のじゅうたんをしきつめたような静かな海でした。碑のかたわらにおかれてある記念の救命ボートの、こわれかかったいたいたしさを見るにつけても、あの日の天候をうらまずにはいられませんでした。
 やがて、小さな花で作られた十字架をそなえると、ダビッド=クヌッセンは静かにふり返って、案内の日高町の人びとに、
「弟のためにたてられた碑が、こんなにもりっぱなのにおどろきました。それにつけても、地下の弟はそうなんした日本の船員を助けだすことができなかったことを、どんなにか残念がっていることでしょう。弟は花がすきでした。この種は、デンマークの家の庭に弟が植えていた花の種です。どうぞ、春になったら碑のまわりにまいてやってください。ここを自分の国と思い、家と思ってなつかしむことでしょう。」
といって、きんせんかの種をひとふくろわたしました。なみいる人びとは、そっとなみだをおさえました。(了)
        資料:御坊市文化協会長 西浜久計氏提供
クヌッセン機関長の感動悲話は全国に拡がる!

昭和40年 光文図書出版刊 「小学新国語 5年下」

クヌッセン機関長
昭和32年2月10日、午後9時10分ごろであった。デンマークの貨物船エレンマースク号(4903トン)は、和歌山県日の岬の北西およそ10キロメートル付近の海上で、火さいを起こしている小型船を発見した。風速20メートルのあらしの中を、名古屋から神戸へ向けて航行中のことであった。
 燃えているのは、日本の漁船であった。船上には、ほのおの木ぎれをふって救いを求めている2名の人かげが、みとめられた。エレンマースク号は、急いで、その漁船に近づきながら、全乗組員を部しょにつかせ、救命ボートをおろす準備をした。
 まもなく、乗組員10名を乗せた救命ボートが、おろされた。しかし、風は強く、波はあらい。漁船に近づくことは、とてもできなかった。そこで、しかたなくボートをもどし、今度は、救命ブイにつなを付けて、燃えている船に投げこんだ。もう、そのときは、船上に1名の人かげが見えるだけであった。エレンマースク号は、だいたんにも漁船に近寄って、なわばしごをおろした。人かげは、なわばしごにとりすがって、半分以上も上がってきたが、やけどとつかれのためであったろうか、足をすべらして海中に落ちこんだ。直ちに、あかりのついた救命ブイ数個が、海中に投げこまれた。
 このできごとをかん板で見ていたのは、機関長ヨハネス=クヌッセン氏であった。かれは、なんのためらうこともなく、急いで救命着を身につけ、落ちこんだ日本船員のあとを追って海中に飛びこんだ。1度は、船員をだき上げたように見えたが、なにしろ強風がふきまくっており、それにさかまくどとうである。暗夜の海は、ついにふたりのすがたをのみこんでしまった。
 すぐに1せきの救命ボートが、おろされた。しかし、運悪く、海水のためにモーターがこしょうを起こして、ボートを進めることができなかった。もはや、漁船は、ちんぼつして、かげも見えなかった。
 動けない救命ボートの乗組員は、本船にもどされ、ボートは、本船の横につながれた。しかし、なだれこむ海水は、ボートのつなをたち切り、あら波のなかにさらっていった。やがて、救命ブイのあかりも消えた。
 このできごとは、直ちに神戸の海上保安本部へ無電で通報された。本部からは、指令を受けたじゅんし船2せきが、悪天候をついて現場に急行した。続いて飛行機も、出動した。
 その間、エレンマースク号は、照明灯を照らして、たえまなく海上の見張りを続けた。しかし、風はますますふきつのり、波はいよいよ荒れくるった。エレンマースク号も、大ゆれにゆれた、その場にとどまっていることができなかった。船は、見張りを打ち切って、一時、たいひしなければならなくなった。
 やがて、じゅんし船がとう着し、照明灯を照らして、海上をくまなくさがし始めた。そのうち、夜も明け、いくらか風も静まったので、エレンマースク号は、ふたたび現場にもどってそうさくを続けた。しかし、海上には、破へん一つみとめることができなかった。
 ついに、エレンマースク号は、じゅんし船にあとをたのみ、心を海上に残しながらも神戸に向かった。
 11日午前9時50分、クヌッセン機関長の死体は、日の岬北方の田杭海岸で発見された。さらわれた救命ボートも、その近くに打ち上げられていた。日本船員の死体は、さらにその数日後に発見された。
 クヌッセン機関長は、当時39才、つまはなかったが、デンマークには、83才の老母がその帰りを待っていた。かれは、これまで、数回日本をおとづれていた。日本を愛し、できれば、つまも日本人をむかえたいと語っていたという。また、今度の航海が終われば陸の人となって、兄とともに、農園の仕事にはいる計画であった。いわば、この航海が、最後の旅であったのである。
 漁船は徳島県下の船で、乗組員は3名であることがわかった。
 火災の原因は、わからなかった。

 このできごとは、各新聞によって、全国に報道された。そうして、国境をこえたクヌッセン機関長の人類愛と、その勇敢な行動は、全国に大きな感動をまき起こした。感謝の電報や手紙が、たくさんエレンマースク号に寄せられ、また、各地で感げきの義金が、集められた。
 その後、現場付近の和歌山県日高郡美浜町には、地元の人々の手によって、クヌッセン機関長の記念ひが、建てられた。機関長の兄は、はるばる記念ひをおとづれて、花ずきであった弟のために、故国から持ってきた花をささげた。
 さらにその後、関西デンマーク協会は、クヌッセン機関長のきょう像を建てることを計画して、義金を集めた。それが実って、デンマーク一流のちょうこく家の手による、青銅製、高さ80センチのみごとなきょう像ができあがった。
 やがて、本国から運ばれてきたきょう像は、美浜町の記念ひのそばに建てられた。それは、クヌッセン機関長がなくなって5年後の、昭和37年6月のことであった。
 このきょう像建設については、次のようなうら話が伝えられている。
 初め、関西デンマーク協会の代表がデンマークへ行って、きょう像建設の計画を、クヌッセン機関長の遺族や関係者に申し出た。が、以外にも、その人々は、
「ありがたいことだが、ご辞退します。」
「わたしたちデンマーク人は、小さいときから、こまっている人を助けるのは、人間の義務である、と教えられてきています。クヌッセンは、不幸にして一命を失いましたが、人間としてのこの義務をちゅう実に守っただけのことです。かれは、最高の義務を果たしたといえましょう。しかし、デンマーク人としては、当然の行動です。きょう像などと、改まった表しょうは、できることなら遠りょしたいと思います。」
 しかし、ようやく、代表者の誠意が人々を動かし、きょう像建設の話がまとまった、ということである。
 はるばると海を見わたすおかの上に、かすかなほほえみをうかべたクヌッセン機関長のきょう像は、記念ひとならんで、人間愛と勇気のけだかい行いを静かに伝えている。(了)
エレンマースク号の救命艇保管庫 遭難の海


 昭和59年 美浜町教育委員会刊 郷土読本みはま より

クヌッセン機関長

 昭和32年2月10日夜、冬のあらしが荒れ狂う日の岬燈台沖の海上を徳島県の機帆船、「高砂丸」が火災を起こし波にもまれていた。乗組員はたった3名、はげしい北風のさなか、しかも、ま暗い海上での船火事である。火は大きくなるばかりでどうしようもない。そのうちに火は油に燃え移り、大きな音とともにガソリンが爆発した。もうだめだ。全身やけどをうけた船員の一人は、力つきて、さかまく波にのまれてしまう。残った二人は、燃えさかる火に追われながら、助けをもとめる信号旗をマストにかかげ運を天にまかせました。
 火はもえさかり波はますます荒れくるうばかり・・・・とその時「ポーポーポー」と汽笛が海上にひびきわたってきた。すくいの船があらわれたのだ。その船こそすくいの船、デンマークの貨物船(エレン・マースク号)、天の助けと、喜びにうちふるえ、けんめいに手をふる二人の船員、だが喜びもつかの間、一人の船員が強風のため、急にかたむいたかんぱんから海中へほうり出され波にのまれてしまった。
「速度を落とせ、ライフボート用意」60才のモーラ船長はどなった。
 マースク号の全船員は、2月の寒い風をものともせず、ただ一人生き残っている船員を助けるために、必死の作業を続ける。あれくるう波の上にようやくボートがおろされた、「だいじょうぶか。」と機関長、ヨハネス・クヌッセンは、目を光らせながら言った。デンマークの海の男たちのたくましい手に、オールがにぎりしめられた。波しぶきをあびながら、ボートはこぎ出される。
 ボートは山のようにうねり上がる波に、いくたびか、すがたをかくしながら、ぐいぐいと機帆船高砂丸に向かって進む。まっ黒な夜空にのび上がったものすごい火柱、とびちる火の粉、もうもうとたちこめる煙、きけんをおかしてようやく高砂丸に近づいた。ボートから救命具がなげられる。
 ボートは高砂丸に近づいては、はなれ、はなれては近づき、やがて日本人船員を無事にボートにすくった。
 マークス号のかんぱんでは、どっと喜びの声があがった。まもなく助けられた日本人は、ボートから本船のはしごにとりつき、一歩一歩それをのぼり始めた、もう大じょうぶだ。みんなは、かんぱんから下のボートをのぞきこむように口ぐちにいった。
「よくやってくれた。ごくろう、ごくろう、みんな早く上がってこいよ。」だがその時、せっかくすくわれた日本人は、手をすべらしたのであろうか、あっという間に、はしごのとちゅうから海中へ落ちてしまいました。 
 思いがけないできごとであったので、みんなはぼうぜんとしていました。
 一番前にいた機関長クヌッセンは、上着をぬいで「おれが助けに行ってくる。」といって身をおどらせて、氷のような海中にとびこんだ、とめるひまもなかった。いやとめても、思いとどまる機関長ではなかった。人のくるしみを見ては、じっとしておれないのだ。
 クヌッセンは一度は日本人をぐっと小わきにかかえてすくい上げたが、次のしゅん間どっとおそいかかる大波にうたれ二人共そのすがたは見えなくなった。夜どおし、ボートで二人のすがたをさがしつづけたが見つける事が出来ないまま夜があけました。その朝クヌッセン機関長も日本人船員もこおりつく寒さの中で水死体となって見つかりました。
 国境を越えた海の男の友情をたたえる胸ぞうと記念ひが現場を見下ろすパークに建てられて航海の安全を見守るように海を見つめています。この胸ぞうと記念ひは、美浜町と関西デンマーク協会の手で立てられました。
 クヌッセンの胸ぞうはデンマークの彫そ家グームセン・ホルム・クリーン氏の作品で1962年6月5日、デンマーク駐日大使によりここで除幕されました。
 毎年2月10日、大ぜいの人々が集まり、ヨハネス・クヌッセン遺徳けんしょう会などが中心となりここで記念祭が行われています。
 クヌッセンゆかりのボートは、国境をこえたクヌッセンの人類愛にもえた勇かんな行いをひろく知ってもらうために、保ぞんし、後生にながく伝えるために残されています。この保かん庫はクヌッセン遺徳けんしょう会や日高町教育委員会の手でできました。
 故国を遠くはなれた他国の海で一日本人船員をすくおうとして命をささげたクヌッセン機関長の美しい行い、愛には国境のないことを、何よりもはっきりと教えてくれました。

      あぁクヌッセン機関長   作詞:田端良章  作曲:坂田美智子

      一、小富士岬の 磯嵐
        きさらぎの海 星消えて
        こだまは遠く 海鳴りの
        命悲しき 千切れ雲
        あぁ 海の人 クヌッセン

      二、高戸の峰に 風渡る
        淡路の島に 雲低く
        呼び交う浦の 磯千鳥
        命ににおう 浜木綿の
        あぁ 愛の人 クヌッセン

      三、黒潮遠き 海原の
        くだけて白き 岩波に
        光は消えず とこしえに
        世界の海に 咲きいずる
        あぁ 愛のはな クヌッセン


   ヨハネス・クヌッセンを讃える歌  作詞:山本光一  作曲:田端好弥 

一、きさらぎ寒き 嵐の夜
        火の船のがれ 身を投げし
        人救はばと血も凍る
        海を泳ぎて君ついに
        あぁ 帰るなしクヌッセン
        セーマン アフ プレグト

      二、海に育ちし 胸広く
        国の内外の わかちなし
        海のおきてを一すじに
        命ささげし船人の
        気高き愛よクヌッセン
        セーマン アフ プレグト

      三、人と土とは 異なれど
        ことばと性(さが)は違えども
        君が気高き犠牲(いけにえ)は
        二つの国をとこしえに
        結ぶきづなと讃えかし
        クヌッセン クヌッセン セーヘルト
 
クヌッセン機関長に関する著作紹介
※他にも有りましたら、
「ふぁーむいん紀州日高」へメールにてご一報下さい。
「紀州灘を見守る胸像」昭和41年 刊 著者:藪内虎彦 御坊市立図書館蔵

  目次紹介 紀州灘を見守る胸像
       栄光の海
       クヌッセン機関長の生い立ちと人物
       エレン・マークス号航海日記の一部
       雑記
       賛歌(クヌッセン機関長)
       子らへ


「北海の白鳥」ヨハネス・クヌッセンとデンマーク海人魂
  偉大な白鳥の死  ーヨハネス・クヌッセン物語ー
     1963年 関西デンマーク協会 刊 平林広人著

目次紹介 紀州灘における厳寒暗夜の遭難
       遭難記録と実相 
       歴史と史実
       日の御崎灯台の閃光
       田杭の浜に漂着した外人船員
       エレン・マースク号航海日誌より
       機帆船高砂丸の救難
       田杭の浜に漂着した機関長とその衝撃
       弔慰金と弔慰の手紙
       葬儀
       海員歴
       デンマーク新聞の第一報
       日の岬に顕彰碑の建設
       炎上した高砂丸船長の遺体発見
       遭難者の遺族
       水難の八街(やちまた)紀伊水道の守り
       旭日勲章を庶民的な英雄に
       顕彰碑の除幕
       実兄ダビド・クヌッセンが来た
       ヨーロッパ北端の国際要港
       自国では海人最高の栄誉を
       浅川港頭に慰霊碑
       歌に教科書にまた紙芝居に
       ステーマン女史の来朝と関西デンマーク協会の結成
       日の岬に建てられた胸像

       白鳥の群飛 <マースク船隊とA・Pミューラー>
       マースク・ライン船隊とその活動舞台
       デンマーク海運発達の展望
       デンマーク人が日本の沿岸に鳴らした警鐘
       デンマークの海人がどのようにして育てられたか
       ヴァイキングの国白鳥の巣
       現代国際海運界の巨人A・P・ミューラー
       デンマーク海人の修練
       教会堂に船の模型
       国王と海運界
       人材の交響楽

       全洋に羽ばたく白鳥 <世界を行くデンマーク人の群像>
       イエセンの日本印象記
       ニューヨーク・ラインに沿って
       アフリカ回り世界周航線に沿って
       ペナン・シンガポール方面
       インドネシア(ジャカルタ=マカッサル)方面
       バンコク線方面
       日本におけるデンマーク人
       
       
「最後の航海」 昭和33年 海洋文化協会 刊  熊谷 白 著 御坊市立図書館蔵

目次紹介 1.ヨハネス・クヌッセンの最後
           猛火に包まれる機帆船
           うちあげられたクヌッセンの遺体
           遭難現場を望む日の御崎の記念碑
       2.デンマークの反響
           全デンマークを衝撃した新聞の報道
           庶民的な英雄におくる日本人の感激
           デンマーク人に与えた日本人の印象
           ジャーナリズムが批判する日本
       3.兄ダビッド・クヌッセンも日本訪問
           なにを祈るか碑の前で
           日本を語る兄ダビッド
           なにもかも幻想的
           忘れられない未亡人たち
           毎日新鮮な花が弟の墓前に
           すぐれた学校と騒がしい東京
           日本人の日常生活を見て
           テレビのゲストに迎えられる
           旗とサイレンに涙の感激
           日本に対する希望は
       4.デンマークと彼の生涯
           伝統的に勇敢な海洋精神
           海を識り船員を敬愛する国民
           世界に誇る酪農王国   
           農村文化の振興と人道主義の教育
           この国民教育を見よ
           ヨハネスの少年時代
           かって溺れる友達を救った
           遭難の帆船も救助した
           また海中から少年を救い出した
           かくして静かで強い性格がつくられた
       5.ヨハネスの思い出
           彼は日本人が好きだった
           彼は礼を言われることが嫌いだった
           彼は強く正しかった
           彼は自然を愛し農村の生活を望んだ
           彼は旭日章を見つめていた
           彼は屍に花を咲かせた
           日本の親愛なる読者諸兄に送る